写真の効用とは
作成日時 : 2008/04/03 08:43
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リタイアするまでは平凡なビジネスマンだったので、男の関心事は政治経済、なにごとも仕事優先と言い聞かせて、花鳥風月、アートとは無縁の生活を続けていた。まあ、はっきりいってしまえば精神的にはグータラ生活だったのだ。
ところが、写真を撮り始めて1年、生活感覚が変わったのにわれながらおどろいている。
いまは、写真がおもしろくてしかたない。
写真のおもしろさとは、まず、カメラ操作にまつわる訓練・修行のたのしみ。ボクの問題点はピントが甘いこと、手ブレすることで、この弱点を克服するためには足腰を鍛え、腕力をつけなくてはと、最近痛切に感じている。
もうひとつは、自分の目が何を見ているのか(何が見えていないのか)を発見するたのしみだ。
最初のころは、じつは写真をなめていた。カメラがよくなったのだからだれでもそこそこいい写真が撮れるさと、高をくくっていたが、それはたいへんな間違いだったことに気づいた。写真はむずかしいのだ。
↑古屋大先生の撮影スタイル
先生と行動を共にしながら写真を撮っていると、先生の何気ない言葉におどろく。
「いい光だ」とか、「色がよくなった」とか、つぶやいているのだが、ボクにはなんのことかわからなかった。そんな状態が続いていたのだったが、最近は、何をいっているのか、ああそういうことなのかと、わかることが多くなった。
さらにもうひとつのたのしみが増えた。
写真仲間ができたのだ。先生は、写真では先生だが、共に歩いているときは仲間の意識がある。
それに、大先生が体調を崩したときに代役を務めてもらった若先生。若先生は、大先生とは違ったカメラアイをもっていて、撮るものや、撮った写真の評価が大先生とは違ったのが新鮮だった。ピントの精度の高さは驚異的だし、ややわらかな露出選択が独特の質感をかもし出していた。
↑若先生の撮影スタイル
一緒に撮ろうよと引き込んだのがミヤウチくん。彼はデザイナーで銀塩派。じつに個性的な写真を撮る。心に残る写真で、ボクは好きだ。
大勢で撮影に出かけると、ご当地の蕎麦屋めぐりをするのが恒例で、じつは裏の目的になっている。
↑ミヤウチくんの撮影スタイル
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